FC2ブログ

K太くんに起こったこと

久しぶりに昔のことを書きます。

もう10年くらい前のこと。高校で教えたK太くんのことです。
彼はいつ授業に行っても机に顔を伏せているので、9月になるまで彼の顔を見たことがないほどでした。
授業が終わるとさっと居なくなってしまいます。
いったいどういう子かしら?と思っておりました。
彼と話をするようになったのは、たまたま担任の先生のところに行ったら彼がいたからでした。

担任の先生は新卒の若い男性で、周囲からは「頼りない」と思われていましたが、生徒の気持ちを分かろうと一生懸命に努力をしている人でした。
K太くんはいつも体調が悪くて、我慢できないくらいひどい時は担任の先生の机の横に椅子を並べて、そこに寝ていました。
授業中いつも机に伏せていたのも、吐き気がひどくてそうするしかなかったそうなのです。

体調が多少ましな時の彼は、明るくて素直な高校生でした。
私はびっくりしました。それから彼と(調子のいい時に)話をするようになりました。

K太くんの話によると・・・
もともと勉強が好きではなくて、サッカー三昧の中学校生活を送った。
結果、希望の高校に入れず、うちの学校に来た。
「都落ち」なんて言葉がありますが、ここらでは「橋を渡る」といいます。
橋の向こうとこっちでは高校のレベルが違うそうで・・・。
それが相当ショックだった彼は、入学と同時に猛勉強を始めました。
3年後、いい大学に行ってみせる!と思ったそうです。

睡眠時間を削って勉強するうちに、彼の体に異変が起こります。
激しいめまい、吐き気でいてもたってもいられなくなります。
がまんできずに学校を抜け出して、道路わきの植え込みでげえげえやっていたら、不審者と間違えられて警察に補導されたこともあったそうです。

担任の先生は彼のわけの分からない状況を、ともかくそのまま受け止めて、「苦しい時はおれのところに来い」と言ってくれました。
そのおかげで1年生、2年生はやっとのことで進級できました。
3年生の時に私が国語を受け持ちました。
ちょうどその頃、私も子どもの病気を機に「低血糖症」の勉強を始めたばかりでした。

K太くんに低血糖症のことと、糖質制限のことを話してみました。
半信半疑ながらも、彼は食生活を変えてくれました。
(パンとパスタが大好きだったそうです。)
3年生の年の暮れ、受験はもう間近に迫っていました。

年が明けて1月にセンター試験、2月頃から大学の一般試験が始まります。
なんと彼は新幹線に乗って東京まで受験に行くことができました。
今まではめまいと吐き気で電車で長野市まで行くことさえできなかったのに。
自転車さえうまく乗れずに、川に落ちそうになったりしていたのに。

残念ながら、希望の大学には落ちてしまい、彼は宅浪の道を選びました。
時々学校に現れて様子を聞かせてくれました。
体調は「いまいち」だそうでした。

私が習ったばかりの「血液検査結果の読み方」を教えたら、面白がって、このあたりでは評判のいいS総合病院に行って、検査をしてもらいました。
そこで、なんと「甲状腺機能低下症」という診断が出たそうです。
お医者さんは「ちょっと低いだけだ」と言われたそうですが、彼はねばって薬を出してもらったそうです。
そしたら、いまいちの体調がとても良くなった!ととても喜んでいました。

そうか!甲状腺か!と私もびっくり。納得しました。
「髪の毛がごっそり抜けるんですよ。おかしいですよね。」と彼が以前から言っていたからです。

低血糖症は様々なホルモンに関わる病気を引き起こすようです。
というか、その人の弱い部分にひずみがでる、ということでしょう。
やはり、その時には薬を飲んで治療することが重要になります。

自分で自分の病気の原因を見つけたK太くん。
大学に行ってやりたいことを見つけてくれたかなあ。
今も心に残っている生徒です。
スポンサーサイト

思い出話 E子さんのこと

また、思い出話をします。
ひと昔前ですが、「総合的な学習の時間」というカリキュラムがありました。
普通の授業ではなく、先生たちが考えて生徒に役立ちそうな内容の授業をする、というようなものでしたが、高校では不評でした。
1年の終わりに「何もやることがない!」という事態になることもありました。
そこで私がしゃしゃり出て「栄養の大切さについて話をしたい」と言ったところ、とても喜ばれて、3年生を3クラス一緒に、大教室で授業する、などということもありました。
そんな授業をした後で、E子さんから長いお手紙をもらいました。

先生、一年間教えていただいてありがとうございました。
先生の栄養のお話を聞いて、私はとても心に響くものがありました。
実は私、夏休みの頃に「ちょっと痩せたいな」と思って、ご飯を少ししか食べないダイエットをしたんです。
軽い気持ちで始めたのですが、だんだんと考え方までおかしくなって、普通の生活ができなくなってきました。
お母さんはとても心配していろいろ言ってくれたのですが、お母さんの言うことも心に入っていかなくなってしまいました。
朝も起きられなくなって、学校にはやっとのことで行っていましたが、友達とのやりとりが苦しくてたまりませんでした。
お母さんは泣きました。でも私はお母さんの気持ちが分かりませんでした。
いよいよ体が動かなくなって、さすがに「これではいけない」と思いました。
それでお母さんが作ってくれたご飯を食べました。
食べ物が体にしみ込むような気がしました。
少しずつご飯を食べられるようになると、体だけでなく心もしっかりと働くようになりました。
先生、食べることは生きることなんですね。
私はそのことがよくわかりました。
もうじき卒業ですが、私はこれからも食べることの大切さを忘れないで生きていきたいと思います。
先生にいいお話をしてもらって本当に良かったです。ありがとうございました!

E子さんはとても素直なやさしい子で、私はE子さんにそんな大変なことが起こっていたとは全く気が付きませんでした。
すべてが解決した後で知ったのです。
食べることは生きること
いい言葉ですね。
E子さんを救ったもの、それは泣きながら待ち続けたお母さんの愛だと思います。

思い出話  Dくんのこと

もうひとつ思い出話です。
今度はADHDのDくんのこと。
私が副担任をしたクラスの男の子です。

授業中にうろうろと立ち歩いて、「何してるの」と言うと、「ゴミを捨ててくる」と言ってゴミ箱に向かいます。
ついでに友達の足をひっかけて、戻ってくる時には誰かの首を絞めています。
絞められた方は黙っていません。大騒ぎが始まります。
こんなことが授業中に何回もくり返されます。
Dくんと小学校から一緒だった女の子が言うには「Dくんさあ、いっつも先生に怒られて立たされていたよ~」
大体の子は高校くらいになると落ち着いてくるものですが、Dくんはそうなりませんでした。

担任がお母さんと話をしたのですが、お母さんは激怒して「そんなことは知りません!」だそうです。
そのうちDくんの生活が乱れて、たばこやら何やらで退学になるかもしれない状態になりました。
困った担任はお父さんに連絡を取りました。
Dくんのせいで夫婦の間もおかしくなってしまって、お父さんは家を出てしまったそうですが、なんとか連絡がついて、学校に来てくれました。

「なんとも、面目ねえことで。」
やってきたお父さんはDくんが年取った感じの人。
でも、とてもしっかりした方でした。
「実はおれも昔はDとおんなじようなもんだったんです。・・・大人になればなんとかなるんで・・・」
そう言われましても・・・。
Dくんが今置かれている状況をいろいろ説明して、退学もありうることをお話しました。

分かりました。とお父さんは言われました。
駄目になった時はおれが仕事に連れて行って仕込みます。(お父さんは自営業でした)
責任持って引き取るので、やれるところまでお願いいたします。
私たちも了解しました。

ところがDくんにとっては、こんなまずいことはないらしいのです。
「だってさあ、おやじといたらさあ、すぐ殴られるし。絶対いやだ。まじ勘弁してよ。」

仕方なく、Dくんは生活を改めました。夜遊びは止めました。授業中もかなりおとなしくなりました。
時々どうにもがまんできなくなって、うろうろ出歩くことがあります。
「ちょっと、D、分かってんの・・?」
この時、私の頭の後ろには、仁王さんの炎みたいなものが出ていたかもしれません。
さすがのDくんも席に戻り、しばらくため息などをついて、その後寝てしまいました。

しかたないですね。動けないなら寝るしかないわけで。静かな方がありがたいので、そのままにしておきました。

「ねえ、Dくん、卒業できたらまる金でカツどんおごってあげるよ。」とある日わたしが言いました。
「ほんと、おれ頑張るし!」
やっとのことでDくんは卒業式を迎え、お母さんとも涙でお別れしました。
Dくんは遠くの専門学校に進学しました。
卒業式の後で「カツどん食べにいこうぜ!」とさそったのですが、「いいよ~。世話になったうえに~。」と遠慮して来ませんでした。

D君はどうしているかなあ。もうそろそろ結婚して子どもがいてもおかしくない年頃だけど。
もし、ちゃんと稼いで家族を養っていたら、ほんとに今度こそカツどんをおごってあげたいです!


思い出話 C子ちゃんのこと

『いやいやえん』のしげるちゃんの話をしたら、いろいろ思い出すことが出てきました。
ちょっと、私の思い出話にお付き合いください。

私は高校で常勤の講師の仕事を長いことしてきました。
自分ではいつも、来年は辞めるかも、と思っていたので、正規の教員になる気もなく過ごしてきました。
ある程度年を取っていたので、「生徒相談」の係をしました。
その時に担任の先生から頼まれて世話をしたのがC子ちゃんです。

「どうも面接が苦手で、就職試験が近いのにうまくできない」とのことでした。
そこで、放課後に相談室に呼んで何回も練習しました。
困ったことに、まず相手の目を見て話すことができません。
視線があっちを向いたりこっちを向いたり。
「目をみて!ほら、こっちを見て!」と注意するのですが、それができないんです。
質問の答え(例えば、あなたの得意なことは何ですか、とかなぜわが社を希望したのですか、など)も、「ええ・・あの・・その・・」といった感じ。

彼女は小学生の頃に発達障害と診断されて、専門の病院に通っていたそうです。
対人関係だけでなく、音や感触にも敏感で、昼休みに教室でお昼ご飯を食べることができません。
うるさすぎて駄目なんだそうです。それで、3年間担任の先生の部屋で食べたそうです。
C子ちゃんはとてもまじめで、いろいろ大変なことがあったと思いますが、がまんできるところは一生懸命がまんして、一見すると普通の高校生活を送っているように見えました。
成績も優秀で、資格もたくさん取ったので、就職はスムーズにいくと周りは思っていたのですが・・・。

結局面接でどうしてもうまくいかず、卒業の時も就職が決まりませんでした。
卒業式の後で本人とお母さん、担任の先生と私とで今後のことを相談しました。
彼女の家は母子家庭で、お母さんは彼女が安定した職に就いてくれることを目標にがんばっていたのです。
お母さんもC子ちゃんも泣きました。私たちももらい泣きしてしまいました。
「○○病院の先生は、もう治ったって言ったんだよ。大丈夫だって。それなのに・・」

ひとしきり泣いた後でお母さんは  「ああ、くたびれた!先生タバコ吸っていい?」

どっとずっこけました。でもみんなで笑い出してしまいました。
ほんとは校舎内禁煙ですが、特別に・・。

そして、ともかくアルバイトから始めて、正社員の道を目指そうということになりました。
彼女は大手スーパーのお惣菜を作るところでアルバイトを始めました。
きちんとした性格なので、長く続いたようです。
その後のC子さんのことは残念ながら分かりません。でも、きっとまじめに一生懸命がんばっていると思います。

子どもはみんな問題児

中川李枝子さんの『子どもはみんな問題児』という本を見つけて、懐かしくて衝動買いしてしまいました。

中川さんといえば、『ぐりとぐら』のシリーズで知られている絵本作家です。
わが家でも子どもたちが小さいころによく読んだものです。

ぼくらのなまえはぐりとぐら
このよでいちばんすきなのは
おりょうりすること たべること
ぐりぐら  ぐりぐら

暗記するくらい、何度も読みました。
『ぐりとぐら』も好きですが、我が家で一番人気があったのは『いやいやえん』というお話です。
絵本よりは文字が多かったので、5歳くらいから読んだ気がします。
その本の主人公「しげるちゃん」が、これがまたすごい。
悪いこと、いたずら、いじわる大好き、かんしゃく持ち、でも好奇心旺盛で本当に子どもらしい子どもです。
しげるちゃんはわが家の子どもたちのアイドルです。
ミッキーよりもスヌーピーよりも(スヌーピーはひねくれていて、結構面白いキャラですが)しげるちゃんの人気はNo.1です。

中川さんは保母(今は保育士)として17年働きました。その時の経験からたくさんの絵本を書かれたそうです。
東京の世田谷区にあった無認可園「みどり保育園」に通ってくる子どもたちは「新米の私は毎朝、覚悟を決めて家を出なければならないほど、たくましい子どもたちでした。」
1960年代から70年代のこと。私もちょうど中川先生に教わったくらいの年ですが、子どもの人数も多くて、いつもひしめきあっていた時代です。

何かというと「昔は良かった」という人がいますが、決してそんなことはないですね。
私も初めに就職した頃は本当に泣かされました。中学生を教えていました。
結婚して長野に来て、高校の先生になった頃も、実業高校だったせいもありますが、生徒はたくましくふてぶてしく、油断をすれば大変な騒ぎになりまして、月曜日には「胃が痛い」という日々でした。
今の子どもたちの方がよっぽど優しくて繊細です。
「このごろの子どもは・・」という人には「あんた何言ってるの?」と言いたいですね。

思うに今の時代にしげるちゃんがいたら、「発達の問題あり」ということで、療育だの投薬だのと言われていたかも・・。
いや~ぜったいそうなっていますね~。
当時は時間の経過と共に成長していった子どもたちが、今はそうはいかない状況があるのかもしれませんね。

「子どもはみんな問題児というのが、私の持論です。」
「けんかがあると保育園が活気づきました。だから私はけんかが好きでした。」
「子どもはいつも全力で生きていますから、とても大変です。私は子どもを見ていて、自分がもう一度子どもになりたいとは思いませんでした。」
「お母さんは子どもがどんとぶつかってきてもよろけるようではだめです。」

うーん、子どもとともに生きてきた人の言葉ですね!
弱っちくなったのは、大人の方でしょうか?
プロフィール

poco a poco

Author:poco a poco
加賀瀬みどりです。愛知県出身の60歳です。上田に家を建てて20年近く。高校の講師を19年間続けてきました。2015年7月より上田市内で「子育てカウンセリングルーム」を開設しました。自分の家族の体験から栄養の大切さに気づき、「栄養療法」の勉強を続けてきました。この勉強はかれこれ9年になります。今までの考え方を覆すような驚きの連続でした。勉強したことを生かして、子育てに悩むお母さんがたの手助けをしたいと思っています。

最新記事
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
来室数
あなたは
検索フォーム
QRコード
QR
参考リンク
参考図書
おすすめ商品