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予備校そして大学へ  14

いよいよ子どもは、翌年の4月から上田市内の予備校に通い始めました。
丸2年間引きこもり状態でしたので、どうなることやら心配しながらのスタートとなりました。

幸いなことに、いい先生方に恵まれて、いろいろなトラブルはあったのですが、なんとか通い続けることができました。

大学は「栄養について学べるところを」ということでした。
「自分が栄養によって改善したので、栄養の勉強をしたい。」という希望でした。

数学や化学も受験のために必要になるそうで、今までろくに勉強してなくて大変そうでした。
わからないことは、先生のところに行ってしつこく聞くので、先生も大変だったと思いますが、かわいがってもらいました。

ただ、模試の時に途中で具合が悪くなるのが悩みの種でした。
多分、過集中してしまって途中で息切れするのだろうと思います。
別室で受験させてもらったり、いろいろ配慮してもらってとても助かりました。

ある時、ひどく不安になって、予備校の階段の踊り場でおいおい泣いたことがあったそうです。
そうしたら姉の担任だった数学の先生が、
「おい、加賀瀬、人生いろいろあるからさあ、泣くなよ。」と慰めてくれたそうです。
「せ、せんせい・・私は・・私は・・(血糖値が下がっているんです!)」と言いたかったけど、うまく言えなかったそうです。
まあ、そうですよね。(笑)

ほんとにいろいろ大変だった予備校生活でしたが、なんとかセンター試験も受けられました。
ただ、センターで力を使い果たしたようで、その後は体調が悪く、国立の大学の前期入試では落ちてしまいました。
それでもセンターの結果のみで受験した私立大学に無事合格することができました。

とうとう、家を離れることになりました。
私も、学費を稼ぐために常勤の仕事に復帰することにしました。
そして、私自身も「何かやらねば。」という気持ちになりまして、「栄養療法の勉強会」という位置づけで講演会を開きました。
第一回は10人くらいの子連れのお母さん方が来てくれました。

それ以来毎年、講演会を開いています。
個人でやっていることなので、たくさんの人を集めることは難しいですが、30人~40人の方が来てくださいます。
定真理子さん、大沢博先生、溝口徹先生、高橋嗣明先生、伊藤夕里亜さん、たくさんの方に来ていただいてお話を聞くことができました。
この講演会でできたつながりは今の私の仕事(相談室)を支えてくれています。

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高校を退学する 13

高卒認定試験に受かったことで、これからの身の振り方を考えることになりました。
高校は2年間休学できるので、来春から高校に復学してもう一度2年生からやり直すのか、高卒認定の資格を使って大学に行くのか。
子どもの腹は決まっていたようで、高校は退学することに決めたのです。

同級生はもう卒業しています。
学校に連絡したところ、「一度来てくれませんか。」と言われたので、「どうする?」と聞いたら、行くという返事です。
久しぶりに、ちょっとおどおどしながら、二人で放課後の学校に行きました。
担任の先生は次々と変わっていて(下の学年に移ったということですね)、初めてお会いする先生でした。

今後のことを聞かれて、子どもは「高卒認定を使って大学に行って勉強したいことがあります。」とはっきり答えました。
先生も子どもの意思表示を受け止めてくれたようで、「書類などが必要な時は言ってください。」と言われました。
親切な先生だと思いました。
退学の書類をもらって、建物の外に出た時に子どもが「不思議だな。普通に学校にいる。」と言いました。

病気になったころは、学校に行くと苦しくて苦しくて、天井がぐにゃぐにゃゆがんで見えたり、床が揺れる感じがしたりしたのだそうです。
恐ろしくて恐ろしくて、トイレに駆け込んで、中で一人で泣いていたそうです。
だから私は学校が合わないんだ、学校にいられないんだ、と思っていたそうです。

それが、今普通に学校にいる。何も恐ろしいことはない。
そのことが驚きだったそうです。

今にして思えば、それは「低血糖症」の発作だったのでしょう。
でもその頃はそんなこととは知らず、自分の体に起こる不可解な出来事に振り回されていたのでしょう。

今もどこかであの頃の子どもと同じ苦しい思いをしている人たちに言いたいです。
その症状の原因を知ってください。
それは精神的な悩みだけではないのですよ、それは低血糖症ではないですか、と。

高卒認定を受ける  12

4月になって、子どもの体調はかなり良くなってきました。
時には私の車で出かけることもありました。
そうなると、自分でも何かしたいという気持ちが出てくるようです。
「予備校に行こうかな・・。」と言い出しました。

実は姉が予備校に通っていたころに(まだ投薬されていたころ)姉にくっついて行って、「予備校に入りたい」と話をしたことがあったらしいのです。
姉がお世話になった予備校の先生が、「今焦ってまた体調が悪くなるといけない。今年は高卒認定を受けて、来年予備校に来たらいいのではないか。」とアドバイスしてくれました。

高卒認定、存在は知っていましたが、どういうものかよく分かりませんでした。
でも、これに合格すれば、それを使って大学に行けるようです。
本人も乗り気になったので、いろいろ調べてみました。

高校1年生の時に履修した科目の国語、英語、数学などはそのまま認定されるようです。
残るのは、世界史と化学でした。
久しぶりに教科書を出してきて、勉強を始めました。
認定試験は8月ということで、暑さに弱い子どもの体調が心配でしたが、自宅でマイペースでやれるのはありがたいことでした。

まだまだ、無理をすると疲れて寝込んでしまうような状態でした。
ゆっくり、ゆっくりと生活のリズムを作っていかなくてはなりません。
朝起きてご飯を食べて、1~2時間勉強します。後はピアノを弾いたり、絵を描いたり。時々車で出かけたりもしました。
昔から絵を描くのが好きな子で、いろいろと不思議な絵を描いて見せてくれました。

高卒認定の問題集を本屋に行って買ってきました。
解いてみると・・・めちゃめちゃ簡単!絶対これしかないでしょ、という選択問題ばかりです。
受からせてあげる、という優しさを感じました。(笑)
でも子どもは心配性で「受からないかも・・」と心配ばかりしていました。

8月の初めに認定試験があって、松本まで行きました。
試験は2科目だけでしたが、緊張したせいかとても疲れたようでした。
試験会場には茶髪のお兄さん、お姉さんがたくさんいて、休み時間にはタバコをぷかぷかやっていたそうです。
でも、私は「こんなに認定試験をうける人がいるんだなあ・・」と感慨を覚えました。
いつも「文科省のやることなんて」と文句を言っていた私ですが、高卒認定には助けられました。感謝です。

無事に試験を終えて、あとは結果を待つばかりとなりました。
そして、9月に入って合格証がとどきました!

運動することの大切さ  10

年が変わり、新年になりました。我が家は毎年1月1日に家族全員で写真を撮ります。大学生の兄、姉も帰ってきますので。
その頃の家族写真を見ると、前の年にはとてもきつい顔で睨むような表情をしていた子どもの顔が柔らかくなっていることがよく分かります。

3ヶ月に一度通院のために上京していました。その時に溝口先生から「季節が良くなったら運動をしよう。」と言われました。
そうはいっても、暮れに東京まで行ったけれど、それ以外は引きこもり状態でしたので、運動なんてできるのかなあ、と思っていました。
先生によると、筋肉を付けることで、糖が筋肉に取り込まれるようになり、糖代謝が良くなるそうです。
暖かくなったらやろう、と言っていて、いよいよ3月末から「夜のお散歩」を始めました。

昼間出て歩くのは人目が気になって嫌だ。夜ならなんとか出られるかもしれない、ということで始めたお散歩は、長く続きました。
夕食の後、夫と私、ペットの犬も一緒に近所の田んぼの中の道を40分ほど歩きます。
冬は降るような星空を見ながら、夏は蛍の飛ぶのを見ながら歩きました。

少し早歩きで立ち止まらないように、息が弾むくらいで歩くのがコツです。
結局このお散歩は子どもが家を離れるまで2年間、ほぼ毎日続きました。

大学に入ってからも子どもはちょくちょく「夜のお散歩」をしていたそうです。
自分自身のためと、大学での友人が夜になると過食をしたくなるとのことで、それを紛らわすために二人で1時間、2時間と歩いたそうです。
そのおかげか、子どもも友人も無事に卒業できて、友人のお母さんにも感謝されました。

クリニックの患者さんも、ヨガを始めたり、ジムに通ったりして運動をする方が多くいらっしゃるようで、体を動かすことはとても大切なことだなあ、と改めて思います。
特に歩くことはお金も道具もいらないので、手軽にできていいと思います。
今でも子どもはせっせと歩いているようです。

減薬・断薬について思うこと 9

今、10年前のことを思い返してみると、「案外うまく減薬、断薬ができたな・・」と思います。
それは後から客観的に見るからそう思えるのだと思います。
その時は、行き先の分からない小船で荒れる海をさまよっているような心持ちでした。
今でも時々、夜中にふっと目が覚めて、不安に襲われることがあります。そして、「もう大丈夫なんだ」と確認して、ほっとしてまた眠ります。

うまく断薬できたのは、まず第1に薬を長く飲まなかったからだと思います。
それは、私が精神科の医師を信じられなかったということが大きいです。
子どもが「体が異様にだるい」と訴えたり、たちくらみがひどかったり、生理の前になると体調がものすごく悪くなったり、生理自体がとても重かったり・・・。
こういうことに精神科の医師は何も答えてくれませんでした。
普通に考えたら、婦人科の病気が隠れていたり、ホルモンバランスの問題があるのではないかと思うのではないでしょうか?
それを言うと、いつも馬鹿にしたような顔をして「そういうものです」みたいな返事しか返ってきませんでした。
彼らは彼らのラビリンスに入り込んでしまって、出てこられないんだ、と私は今でも思っています。
統合失調症にはそういう症状が出るものだ、と大学で教わったら、もうそれ以上考える必要はないのでしょうね。

第2にはやはり、栄養療法を併用したことがあると思います。
そんなことを言うと、反発する人がたくさんいるのかもしれませんが、栄養が足りないために発症した人ならば、栄養が充足すれば改善するものなのです。

パキシルを止めたのが12月頃でした。
その頃、子どもは「一人で東京のクリニックに行く」と言い出しました。
私は心配だったのですが、どうしても行くというので、駅まで送迎をして、一人で行かせました。
無事に帰ってきましたが、なぜ一人で行ったのかは分かりませんでした。
理由を知ったのは大分後になってからです。溝口先生が教えてくれました。
子どもは今までのつらい症状がすごく楽になったことの驚きを語ったそうです。
そして、病気が重い時に家族に対して、とてもネガティブな感情を持っていたこと、それが今は強い感謝の感情に変わったことを聞いてもらいたかったようです。

栄養が私を治してくれたから、栄養のことを勉強したい。
その頃からそう思い始めたようでした。

離脱症状 8

薬の離脱症状らしきものは、パキシル以外の薬をすべてやめてから2~3ヶ月後から始まりました。
最後にもらった薬を「おくすり手帳」で確認してみました。

デパケンR200㎎ 2錠/日、ジプレキサ10㎎ 1錠/日、パキシル20㎎2錠/日、ピレチア25㎎2錠/日、メイラックス1㎎1錠/日、ハルシオン0.25㎎2錠/1回

パキシルはやっかいな薬だということで、止めずに残しましたが、後の薬は全部止めました。最近になってハルシオンなどのベンゾ系の薬もやっかいだという話を聞きました。その頃はなにがなにやらよくわかりません、という感じでした。 

初めは、歌を歌ったり、訳の分からないことで騒いだりしていました。
そのうち、急に暴れてコップを割ったり、ものを投げたりするようになりました。
それが、なんの前触れもなく突然始まるので、すごくドキドキするのです。
トイレに入って鍵をかけて、壁に頭をドンドンとぶつけたりしました。
その時は夫が鍵をこじ開けて引っ張り出してくれました。
夜、突然外へ飛び出そうとしたこともありました。
田んぼや畑の中の家なのですが、それでも何があるかわかりません。
いつ飛び出すかわからないので、夫と二人で両側から押さえつけて寝るようにしました。

新宿のクリニックに電話を掛けて「どうしたらいいでしょう」と泣きながら聞いたこともありました。
心配なので、刃物や先のとがったものをすべて目に付かないところに隠しました。
ありがたかったのは、子どもがもともとおとなしい性格だったので、暴れるといってもこちらが本気をだせば抑えられたことでした。
それでなかったら、きっと大変なことになったと思います。

こんな症状は2ヶ月くらい続いたでしょうか?
そのうち暑くなってきて、もともと暑さに弱い子どもはぐったりして、また寝込んでしまいました。
寝込んだのはいいのですが、音に敏感になっていて、私が掃除機や洗濯機を使うとひどく怒りました。

掃除もできず、洗濯もできず、これも大変困りました。
仕方ないので、遠くのコインランドリーまで行って洗濯したりしました。

秋になって涼しくなるころには、少しずつ離脱症状が減っていきました。
それで、パキシルを減らし始めました。
1錠を8等分して、8分の1を減らすところから始めました。
あまり急がないように、と言われていたので、本当にゆっくりと減らしていきました。

早く減らし過ぎると、「頭が後ろに引っ張られる」と言うので、少し量を戻します。
そんなふうにして、行きつ戻りつしながら、薬を減らしていきました。
「最後の、すべて止めるところは慎重に。」と教えてもらっていたので、本当に最後は慎重に減らしました。

栄養療法を始める 7

4月に入ってサプリメントが届き、いよいよ栄養療法を始めました。

学校の方は覚悟を決めて休学にしました。

パキシル以外の精神科の薬をやめると、子どもはちょうど「空気の抜けた風船」のように元気が無くなっていきました。今まで精神科の薬のおかげで体が動いていたんだな、ということがよく分かりました。

ほとんど一日中寝ていました。起こさないと何も食べないので、ともかく時間になったら起こして、プロテインをミキサーで溶かして飲ませます。
喉を通らないと言うので、糖度の低い果物を入れたり、血糖値を上げない甘味料で甘味をつけたりしました。
ついでに、ビタミンB、ヘム鉄、ビタミンCなどを一緒に飲ませました。
朝、昼はこれだけでお腹いっぱい、だそうで、飲むとまた寝てしまいます。

夕食は、家族3人で食べられることもありました。
できるだけたんぱく質を取れるように、肉や魚の献立に、味噌汁には卵を入れました。
糖質への反応が強いとのことで、糖質は制限しました。
ご飯は玄米に変えました。夫は不満そうでしたが、「糖尿病と低血糖症は同じもの」なのだから、これは夫にもいいはずだと思って、家族で食事を別にすることはしませんでした。

4月~5月にかけての思い出はというと、テレビの前でごろんと寝ていた子が、2週間すると起き上がってテレビを見るようになった。また2週間すると、マンガを読むようになった。またまた2週間すると、本を読むようになった。
今までは「字を見ると頭がクラクラする」と言っていたのですが。

こんなふうに書くと順調に回復していったように思われるでしょうが、ところがどっこい、そう簡単にはいきません。

次に待っていたのは、薬の離脱症状でした。


主治医とのバトル  6

とうとう、主治医との関係が破綻することになってしまいました。

それは、私が悪いのです。「栄養療法をやってみたい」、と余計なことを言ったからです。

溝口先生には、どうせ分かってもらえないから、主治医には何も言わない方がいい、と言われていたのに、黙って違う病院に行くのも悪いかなあ、などと、あまっちょろいことを考えたのがいけなかった。
私は精神科の先生というものを甘く見ていた、と思い知らされました。

分子整合医学の病院に行って、これでいこうと決めてから、それでも悪いから言っておこうかなあ、と思って、S医院に診察で行った時に、「栄養療法をやってみたいと思っています。」という話をしました。
そしたら主治医の顔色が変わって、激しく非難されました。
「そんなわけの分からない治療を受けたいのなら、こっちで面倒はみられない。」
「あなたは自分の子どもの病名を受け入れられないんだろう。」
「もう二度と来るな。」
と、浴びせかけられました。

私はふだんはおとなしくて控えめな人間だと思っていますが、実は相当に気が強くて打たれ強い人間です。
むかっときました。
なんだ、この野郎。偉そうに。
それで言い返しました。
「先生はこの治療法を信じられないようですけど、もしうちの子どもが良くなったら、栄養療法をやっていただけますか?」

「いいでしょう。本当に改善したら、やりますよ。」
「その言葉をお忘れなく。」

それで、とっとと帰ってきました。

ところが、困ったことに、今まで処方されていた薬を急に止めて大丈夫か、という問題が起こりました。
パキシルだけは飲ませないと。
それで、別の精神科の病院に受診しました。そこで何を言われたと思いますか?

「そういう患者さんは困るんだよなあ。いいですか、いったん結婚した人が他のところに行ったらおかしいでしょう?ずっと同じ先生に見てもらうものなんですよ。」

私たちは、S医院の先生と結婚したんですって!他に浮気したからいけないんですって!

なんですか、それは。
これが精神科の実態なのですね。驚きを通り越してばかばかしくなりました。

結局、溝口クリニックに電話で相談したら、処方箋を郵送してくれました。
それでなんとかパキシルを購入しました。

その後、子どもが改善して大学に入学した時、「S医院の先生に見せてやりたいね。」と言ったことがありました。
子どもは「いいよ。あの人に会ったって何も意味はないよ。」と切り捨てました。
それで、それっきりS医院には行っていません。

東京のクリニックに行く 5

上の子の大学の手続きや住まいのことなどが片付いた3月下旬、私は子どもを連れて新幹線に乗りました。

どこの病院に行くか迷ったのですが、子どもの体調が不安定なことを考えて、当時東京駅の近くに分室を開いていた「新宿溝口クリニック」に予約をしたのです。
上田からなら新幹線1本で、1時間半あれば着きます。
当日は血液検査があったので、朝食抜きでした。
子どもは「またお母さんが変なところに連れて行く」と思っていたようで、不機嫌でした。

ビジネス街を探して、小さなビルにたどりつきました。
対応してくれたのは女性の精神科の先生でした。
子どもは終始不機嫌でしたが、サプリメントの話になった時、「薬を全部やめるならサプリメントを飲んでもいい」と言い出しました。
後で聞いたら「薬を飲むと体が勝手に動いて、薬にあやつられている感じがとても嫌だった。」と言いました。

とりあえず、血液を採取して帰りましたが、途中でひっくりかえりそうになったりして、なかなか大変でした。

3週間程で結果が出て、今度は私一人で行きました。子どもを連れていくと大変だからです。
本人も「聞いてきて」と言いました。

今回は男の先生でした。そして、子どもの病気の原因は「低血糖症」、「貧血」、「低コレステロール」です、と言われて、検査の数値についていろいろ話をされましたが、さっぱり分かりませんでした。
ひとつだけ「ああ、そうか」と思ったことは、「糖尿病と低血糖症は同じものの裏と表です。」と言われたことでした。

うちの夫は「やせている糖尿病」です。太ったためにインスリン抵抗性が上がったのではなくて、もともと糖尿病になりやすい体質で、日本人にはわりあい多いのだそうです。
子どもが病気になる3年くらい前に、だるくてだるくて、体重が減って、「おかしい」と思って病院に連れていったら、血糖値が450くらいあって、即入院となりました。
幸いインスリン注射には至らず、投薬でコントロールしていたのです。

先生に、子どもの希望(精神科の薬をすべてやめること)を話してみましたら、「すべてやめるのは危険だから、うーん・・パキシルがやっかいだから、パキシルを残してあとをやめましょう。」

これで、方針が決まりました。サプリメントを確認して、着払いの手続きをして、帰途につきました。

これから一体どうなっていくのでしょう。不安だらけでした。

一冊の本との出合い 4

毎週1回心療内科に行く、お薬をもらう、上がったり下がったりする娘をはらはらしながら見守る、といった生活が続きました。

子どもに振り回されるので、フルタイムの仕事が難しくなってきました。
校長先生に訳を話して仕事を辞めたいと伝えました。「そうは言っても、ずっと家にこもっていても精神的に良くないだろう」と言われて、非常勤の時間講師にしてもらいました。
振り返ってみれば、訳の分からない子どもを相手にしているよりは、悪ガキではあっても普通の感覚の生徒たちと接しているほうが気分的に楽でした。
余裕ができたこともあって、子どもの病気についていろいろ調べました。けれど、あまりいい情報は無く、治癒する率も低いようでした。ずっとお薬を飲み続けないといけない、という記述もありました。

主治医はある時は「おたくの娘さんはデイケアに行くか、アルバイトができれば御の字ですよ。」と言ってみたり、またある時は「こんな人生しか送れないのは気の毒だ」と言ってみたり。
調べたところから想像するに、主治医は子どもの病気を「統合失調症の破瓜型」と見ていたようです。
いずれ、人格崩壊を起こして廃人になると。

どうやってこの子の生きる道を作っていったらいいものか、と毎日悩んでいました。

そんなある日、ふと寄った本屋の棚に『心の病は食事で治す』という本を見つけました。
あまり期待も無く、それでも親ができることは食事くらいかなあ、という程度の気持ちで購入しました。
その本には、アメリカでおこなわれている「分子整合精神医学」のことが書かれていました。
それから心の病を引き起こす「低血糖症」のことが書かれていました。

その低血糖症の症状がうちの子どもの症状によく似ていると感じました。
読み終わって「うーん・・・」と考え込みました。
もう一回、初めから読み直しました。
そして、巻末に「分子整合医学を実践するクリニック」という記述を見つけました。
当時はまだ東京とその周辺に4つの病院があっただけでした。
また、「うーん・・・」と考え込みました。
自分では決められなかったので、夫に「この本を読んで意見を聞かせてほしい」と言ったのですが、手に取ることもしません。

そうこうしているうちに、浪人していた上の娘が無事に希望の大学に合格しました。
これは我が家にとって嬉しいできごとでした。
私はそれに背中を押されるように「分子整合医学のクリニックに行ってみよう」と決めたのです。
プロフィール

poco a poco

Author:poco a poco
加賀瀬みどりです。愛知県出身の60歳です。上田に家を建てて20年近く。高校の講師を19年間続けてきました。2015年7月より上田市内で「子育てカウンセリングルーム」を開設しました。自分の家族の体験から栄養の大切さに気づき、「栄養療法」の勉強を続けてきました。この勉強はかれこれ9年になります。今までの考え方を覆すような驚きの連続でした。勉強したことを生かして、子育てに悩むお母さんがたの手助けをしたいと思っています。

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